上野千鶴子のブログに、熊本新聞に掲載にしていた『絶歌』の書評が転載されているのを見つけた。
『絶歌』(元少年A著)については、発売直後から大変な話題を呼んだ。私も、遺族感情を考慮することなく、著作を出版すること自体に否定的な考えだった。また、書店での取り扱い見送りや公共の図書館におていも貸しだ出し是非の議論が噴出し、多くの図書館が貸し出しを見送ったりもした。
書評の結論は下記の言葉でくくられている。
たとえどんなに未熟でもこれが彼の現在の「中間レポート」である。自分史は何度でも上書きされる。決定版は存在しない。「少年A」は何度でも「自画像」を 書き換えたらよい。書き続けて生きればよい、ことばだけが、彼を他者へと拓き、社会へと生きさせる通路なのだから。「少年A」に本書を出した責任があると すれば、沈黙することではなく、書き続け、生き続けることだ。その彼から、ことばを奪ってはならない。
表現欲求は誰かに干渉されるものではない・・・
続いて、彼は9月上旬にHPを立ち上げている。また、彼はブロマガを発行しようと試みもしている(注;ただ、規約違反があったということでアカウントは凍結されたようだ。詳しい原因は不明)。
彼は言う。「自分の内側に、自分の居場所を、自分の言葉で築き上げる以外に、もう僕には生きる術がなかった。」
(前掲) 書評より
罪の償いは既に終わっている訳だから、第三者が社会正義を振りかざして彼の行為・行動を非難する資格はあるだろうか?との思いにも駆られる。
www.sonzainotaerarenaitomeisa.biz
彼のホームページへのリンクです。冒頭には彼の手による抽象的なイラスト画が並んでいます。異様な雰囲気さえするタッチに見えました。私は申し訳ないですがページ末尾まで閲覧する気持ちにはなりませんでした。
レビュー欄は力の入った描写が展開されており、末尾の『パリ人肉食殺人事件』を起こした佐川一政に関する彼の論考は文読み応えのあるものと思ったし、前科者(特に猟奇的犯罪者)の生き辛さへの想像力は十分に説得力があるようにも思いました。
また、「FC2ブロマガ凍結のお詫び」は短いものですが、実に丁寧な口調で綴られています。かれの実直な心象が伺えるような表現と読みました。
上野氏の言うように、「沈黙することではなく、書き続け、生き続けることだ。その彼から、ことばを奪ってはならない」のであって、その彼を見守っていくしかないのではないかと思い始めました。