テナー奏者の中村誠一の情報を探していたら、上記のページに出会いました。
以前に別のブログで、まだ20代の初めころに聴いた中村誠一の演奏について書いたことがありました。初めて聴いた当時の彼は山下洋輔トリオのメンバーで、ともかく驚愕のステージであった記憶が残っています。
インタビューは全4話の構成となっており、生い立ちから現在までの活動が豊富なエピソードを織り交ぜながら語られています。
インタビュアー小川隆夫のこと
小川隆夫の名前を初めて知ったのは下記の著作。
週刊誌を拾い読みしてて、書評に取り上げられていたこの本を手にしたのがきっかけ。書評のご担当さん、本のつくりからして丁寧であるとべた褒めに近い内容でありました。マイルスフリークの私としては、買わずにおられようか・・・でした。いまも大事な一冊として本棚に鎮座しています。2002年10月の刊行でした。
著者小川隆夫は、外科医にしてジャズジャーナリストの肩書。下記のユニークな書物までものされている。
全盛期のジャズメンの生き方は「普通」ではないことが多かった。つきまとう麻薬、カネ、女……。いきおい、その死に方もドラマチックかつ壮絶なものが多い。そして、彼らの死に方(=生き様)は、彼らが鳴らした音楽にそのまま繋がっている。本書は、そんな角度から23人のジャズメンの死因と音楽に迫った異色の一冊である。
興味をもったところは・・・
彼の演奏は、山下洋輔トリオの時代のフリージャズの演奏しか知らなかった。だから、どのような変遷から今の演奏スタイルになったかについては、「あ~なるほど」こんな背景があったのかと。
このあたりの詳しい内容については第三、四回で語られています。
フリージャズからモダンジャズを演奏するようになった経緯が率直に語られている。
山下洋輔のグループから離れた動機に興味があったのですが、下記のようなコメントが・・・。
エネルギーがなくなってきたのと、やりたくないときでもグワーとやらなきゃならない。自分の心に嘘をついているみたいで、演奏ができなくなってきた。
——ニューヨークに行くといっても、ツテはあったんですか?
中山正治(ds)がいたんで、彼を頼って行ったけど、彼は3週間ぐらいで日本に帰っちゃった。
(注;故・中山正治は高校生の頃からロックギターのグループのドラマーとして活躍。関西出身、大学卒業と同時にプロに。一時期、山下洋輔のグループに在籍。享年44歳)
——ジョージ・コールマン(ts)に習ったんですか?
ジョージ・コールマンは25ドルか50ドルか忘れたけど、教わったのは4回くらい。
(注;ジョージ・コールマンは一時期マイルスのグループにいました)
中村誠一のプロフィールをネット上で調べると、例えばWikipediaでは「1978年に渡米し、ジョージ・コールマンに師事した」との文言があります。
まぁ、なんとでも読める文章だろうけどご本人の口から「教わったのは4回くらい」と聞かされると、当事者ご本人の「生の声」は大事なんだなぁと思ってしまいます。