昨日のエントリーで『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』のレビューについて少し感想を述べました。
チャーリー・パーカー (文藝別冊) を読んでいたら・・・
バード チャーリー・パーカーの人生と音楽の読者レビューに下記の文言が有ります。
現状、生のチャーリー・パーカーを目撃した日本人は1953年当時富士銀行ニューヨーク駐在員事務所に在籍していた瀬川昌久氏が唯一と言われており...
昨日、アマゾンで購入の『チャーリー・パーカー (KAWADE夢ムック 文藝別冊)』が到着。ひろい読みをしていたら「1953年NYカーネギー・ホールで聴いたパーカー」(瀬川昌久)のエッセイに遭遇。
お~・・・これはきっと「パーカー御大」の啓示(大層、大仰であるが・・・)かいなと思いつつ読みました。
記事によると、初めに1953年9月26日のカーネギーホールコンサートに足を運んでおられた。二度目は翌54年2月のブルックリンのパラマウント劇場とのこと。
二度に聴いた時の印象として
ただガランとして古い映画館の中で、パーカーのアルトの澄んだ音色と、バカでかい音量だけは、少しも衰えていなかった
と述懐されています。
また、
優れたジャズのホーン奏者は「基本的に美しいトーンと、大きなヴォリュームを出すことが出来る"ことが前提条件....
とも付言。
そういえば、コルトレーンも大きな音だったようでテナーの中村誠一氏は【証言で綴る日本のジャズ】と題する評論家小川和久氏との対談で
コルトレーンの音色はすごかった。ビャーンと来るでしょ。あれ以降、あんな音は聴いたことがない。
と語っています。
ま、こればっかりはライブの体験者でないと判らないですね。
パーカーと双璧だったL.コニッツの死
話は少しそれますが、瀬川氏の文中にスタンケントン楽団に在籍していたリー・コニッツの演奏も耳にされていた旨が語られていました。
リー・コニッツと言えば、パーカーと双璧をなすアルトの巨匠。 本年(2020年)4月にコロナウイルス肺炎で逝去。50年代から現在に至るまで第一線で活躍していた訳ですから驚嘆に値します。
きっと、今ころは天上でC.パーカーとジャズを楽しんでいるに違いありません。