ウエストコースト・ジャズ・・・
「ウエストコースト・ジャズ」とは、音楽ではなく地域でまとめた呼称なので、そこには色々なタイプの音楽があります。それでも同時代のイーストコースト・ジャズと比べると、そこにある傾向が見えてきます。
白人ミュージシャンが多く、スコア化されたアンサンブルが目立ち、熱く激しい演奏よりも洗練されたさわやかなサウンドが好まれ…ウエストコースト・ジャズのアルバムを10枚、20枚と聴き進めていくと、ほとんどの人がこうした特徴を感じるでしょう。特にアンサンブル面では、誕生から100年以上が経過した長いジャズの歴史の中でも、これだけ見事なスコアが集中して生まれた事はなかったと言えるほどです。
なぜこういう事になったのか。その理由は、ウエストコースト・ジャズの生い立ちを見ると、ある程度の説明がつきそうです。
(ヨーロッパ作曲家の亡命)
白人ミュージシャンと優れたアンサンブルの多さにつながった原因のひとつは、クラシックとの再接触にありそうです。
録音で遡る事の出来る最初期から、ジャズはフォルクローレではなく、プロフェッショナルが演奏するエンターテイメント、産業音楽でした。歴史上の都合から合衆国でクラシックの発展が遅れた事もあり、合衆国音楽で最も高度なものだったとすらいえます。こうしたエンターテイメントであったジャズが、ヨーロッパ音楽であるクラシックと再衝突する機会が生まれました。第2次世界大戦によるヨーロッパの作曲家の亡命です。
フランス近代音楽で中心的な役割を担った「フランス六人組」のひとりダリウス・ミヨー、12音列技法で現代音楽のメインストリームを築いたシェーンベルク、「火の鳥」「春の祭典」といったセンセーショナルな作品でクラシック作曲史を大きく動かしたストラヴィンスキー。こういったヨーロッパの大物作曲家が次々に合衆国に亡命してきました。有名な音楽教師であるナディア・ブーランジェも、合衆国の音楽のレベルを引き上げるために、毎年合衆国で夏期講習を行うようになっていました。
こうして、単純な大衆音楽でしかなかった合衆国の音楽のレベルが引き上げられました。ハリウッド映画『エデンの東』や『理由なき反抗』で素晴らしい音楽を書いたレナード・ローゼンマンは、アメリカでシェーンベルクに師事して育った作曲家です。
『風と共に去りぬ』や『カサブランカ』のスコアを書いたマックス・スタイナーに至っては、元々ウィーン生まれの移民です。
そしてジャズの中に、クラシック教育を受け、アメリカのシンプルな大衆音楽以上のところに踏み込んだミュージシャンが登場し始めます。レニー・トリスターノ、リー・コニッツといった先駆はいましたが、いよいよそれが百花繚乱のごとく咲き乱れたのがウエストコースト・ジャズのシーンです。
「テイク・ファイブ」で有名なデイブ・ブルーベックは、ミヨーに師事しています。ジェリー・マリガンのデビュー作はカノンとジャズ的なアドリブを融合させています。
Dave Brubeck, The Dave Brubeck Quartet - Take Five (Audio)
ジミー・ジュフリーの『Thesis』『Fusion』といった作品は、アルバム全体でドビュッシーやラヴェルといったフランス印象派の和声が使われています。こうした音楽を学ぶ機会を持てたのは白人に限られましたし、またクラシックとの接触なくしてはこうしたアンサンブルは生まれ得ないものでした。
Whirrrr (Thesis)
『VOICE OF BLUE 舞台上で繰り広げられた真実のジャズ史をたどる旅』(ギタリスト・高内晴彦)の中で、“ウエストコーストジャズ(中略)、実はミュージシャンに非常に高い熟練が求められるものです。クラシックでいうとモーツァルトと似ているところがあると思います”とも、書いています。
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